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10年

これからの旅路 インドネシア

あの時

10年前に初めてバックパックを背負い海外へ旅へ出た時のことを思い出す。

あの時はワクワクと誰からともなく自分へと流れてくる不安が混ざり合っていた。

片道の航空券を握りしめタイ・バンコクへ。バックパッカーの聖地と呼ばれるカオサンへの好奇心が自分を後押ししていた。

ドンムアン空港へ到着しタクシーで街へ移動。予約していた宿に早々にチェックインを済ませ外へと出ていった。

私が目にしたのは微笑みだ。あちらも、こちらも、そこにも、またというくらい微笑みが待ち伏せていた。ねぜこんなにも心から笑みが出るのか。先進国といわれる日本では見ない文化に触れた瞬間だった。発展途上国という名の永遠への旅路。まさに旅にはうってつけの王国であることは言うまでもない。ここから先へ、何を考え感じ生きていくのだろうか。ハングリー精神などという中身の見え透いたあの時の言葉は底を尽きようとしていた。英語すらままならない私だったが、それでも最高に楽しかった。建造物の美しさに心が躍り、大仏の大きさに圧倒され、美味を奏で、人の心に助けられていたのである。

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人仏と人仏が出会う時、手を合わせて挨拶をする。タイでは馴染みのある光景。この所作がことの繋がりを覚え、相手へのリスペクトの念を伝えていった。私の中で絵が描かれ、外へと放たれたのである。恥ずかしいことでもなく、私自身の芸術の在り方のように感じた。モノクロからカラーへと不器用なりに迷走し瞑想へとたどり着く。信ずるものがあるということは、一種の柱なのであろう。この瞬間がとても有意義な時間である。出会うという一種のシンクロが旅を傲慢なものへと変えていくことさえも可能のように感じた。その意識の投影こそが、楽譜に映し出される瞬間の描写に過ぎないのだ。表現をして小さくガッツポーズをする。自分への褒美を与えなければ、私は生きてはいけない。誰かへ助けを求める表現、困っている表現、音での表現、言葉での表現、どれをとっても感動に値する。相手がこちらに気付くのを待つという手もある。忍耐力が必要だと思うだろうが、心があれば作曲は容易である。

屋台の店員さんとのやり取り、片言の英語と覚えたてのタイ語を駆使して意思疎通を図る。自分が伝えたいことは言えたが次の問題が発生した。相手の言葉が聞き取れないのだ。だがこれは想定の範囲内。ジェスチャーやアイコンタクト、ノンバーバルを選択し場を保つことができた。この経験が後の人生に大きな意味を加えていった。

時が流れ

2025年8月 インドネシア・バリ島。神々が住む島で新たな旅路が広がろうとしていた。小さな一歩がこんなにも人生を加速させることができるとは、私自身でも正直驚いている。

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